第7回 光文社文庫編集部副編集長 萩原健氏 第3章「怪物の条件は容貌魁偉である。」

<店主前曰>

ハギワラは優れて才能のある編集者である。『異端力のススメ』を編集するに当たり、わたしが実際に会った生の怪物たちの章と、1度も会ったことがなく、書物を通して鍾愛した怪物たちを、別な章に区分けしてくれた。じつは新潮45で連載したときはこんな区分けは関係なしに、アトランダムに書き下ろした。
 バラバラに渡した原稿をハギワラは一冊の文庫にきれいに盛りつけしてくれた。「どうしてはじめから文庫なのか、勿体ない、最初は単行本として出すべきじゃないか」という読者や関係者からアドバイスを沢山もらったが、はじめから文庫オリジナルとして上梓したのは、光文社文庫の編集者、ハギワラの結婚祝いを兼ねてのことである。何よりも尊いものは友情である。12人のわたしの可愛い編集担当者はどいつもこいつもわたしの若い親友なのである。男と女の恋情に年の差なんて関係ないと同じように、男と男の友情にも年齢はまったく関係ない。あの大きな怪物、今東光大僧正はわたしを相手に紹介するとき「こいつはおれの編集担当者でな。いちばん新しい親友や」といったものだ。そのときわたしは随喜の涙が流れた。今さんとは50歳以上歳が離れていたのである。
 ハギワラも温かい友情を返してくれた。9月12日の新宿伊勢丹メンズ館に設置されたサロン・ド・シマジのグランドオープンに合わせて『異端力のススメ』を発売してくれた。すでにサロン・ド・シマジで『異端力のススメ』は200冊以上売れた。買った読者にはその場で筆で「今日の異端は明日の正統」とサインした。

ハギワラ 「今日の異端は明日の正統」っていい言葉ですね。

木村 それはどういう意味なんですか。

立木 木村さん、いい質問です。わからないことをそうやって素直に訊くところが素敵だね。

木村 ありがとうございます。でも、わからないことをこころに抱えていますと、モヤモヤして健康上よくないと思うのです。

立木 たしかにそういう精神状態はお肌に差し障るかもしれないね。シマジ、木村さんにわかりやすく説明しろよ。

シマジ すべての正統は異端からはじまる。たとえばイエス・キリストだって最初は異端の人だった。それがいまではバチカンが誕生するほど立派に正統の人に祭りあげられている。

ハギワラ 怪物学者、小室直樹先生なんて典型的な異端力の持ち主だったのでしょうね。

シマジ あれだけの学識があるのに、東大の象牙の塔は受け入れなかった。でも熱烈に信奉する学生が何人もいた。東京工業大学の橋爪大三郎教授をはじめ、評論家の宮台真司さん、弁護士の副島隆彦さんたちは、小室先生の秘蔵っ子だった。

ハギワラ 光文社も小室先生の『ソビエト帝国の崩壊』が大ベストセラーになり、儲けさせていただきました。

シマジ 小室先生はその金で湯島にマンションを買って、そこで弟子たちにタダで小室ゼミを立ち上げて教えていたんだよ。

立木 フルブライト留学生でアメリカに行って、いろんな大学を渡り歩いて、名だたる有名教授に学んだ情熱と体験はタダモノではないよな。

シマジ 小室先生にとって学位なんて何の興味もかったんでしょう。ただ純粋にその学問を学びたかっただけなんだ。

ハギワラ 帰国後、東大大学院法学部にまた入り直していますね。

シマジ 日本の学問の世界は学位がないと大学で教えられないんで仕方なく入ったんじゃないか。

ハギワラ 東大でも丸山真男教授をはじめいろんな名教授を渡りあるいていますね。

シマジ しばらくしてマックス・ウェーバーの研究家、大塚久雄教授に師事した。小室先生はとくに大塚教授に惚れ込んで、住まいも大塚教授が住んでいる石神井に移したくらいだ。

木村 小室先生はお肌のきれいな方だったんでしょうか。

立木 鋭い質問だ。シマジ、どうなんだ。

シマジ 小室先生は断食は脳のなかにセレンディピティが発生するんだと 、よく断食されていましたし、ひとり暮らしのいい加減さから、食事をするのが面倒くさかったんでしょう。お酒はよく飲んでいましたが、やっぱり顔の肌は今東光大僧正のようにふくよかでテカテカ、ツヤツヤとはいきませんでした。

立木 もっと早くSHISEIDO MENを売り出して、小室先生に使ってもらったらよかったのにねえ。

シマジ その点、いまの男たちは幸せだね。伊勢丹のサロン・ド・シマジにくれば、いくらでも買えるんだから。

ハギワラ ああいう勉強の出来る人って子供のときから凄かったんでしょうね。

シマジ ハギワラ、鋭い質問だ。福島県立会津若松高校時代の親友で、衆議院議員の渡部恒三さんによれば、「小室は高校時代から天才でした。たとえば、25X73=1825を暗算でやってのけて、同級生を驚かしてたね。ぼくは早稲田に入りたかったので、小室に英語を教えてもらった」といっていた。

立木 おれもお前の『異端力のススメ』を読んでから、渡部恒三が好きになった。何でも小室先生は京大に受験に行き、合格したうれしさで帰りの汽車賃まで飲んでしまって、京都から会津若松まで徒歩で帰ってきたというじゃないの。

シマジ そうなんだよ。これも渡部恒三さんに聞いたエピソードだけど、小室先生は一人っ子だったのだが、両親を早く亡くして親戚の叔母さんに育てられたんだ。高校時代は弁当も持ってこられず昼メシ抜きだったそうだ。だから、素封家の息子だった渡部恒三さんが下宿の伯母さんに頼んで、毎日、弁当を2つ持ってきてくれたそうだよ。

立木 その当時日本人はみんな腹を空かしていた時代だったよね。

ハギワラ いまどきないいい話ですね。

シマジ 京大を受けに行く旅費も渡部さんの知り合いがカンパしたそうだ。

木村 どうして小室先生は東大でなく京大を選んだんですか。

シマジ 鋭い質問です。当時日本中を湧かせた大ニュースがあったんです。それは日本人ではじめて京大の湯川秀樹博士が物理学でノーベル賞に受賞したんだ。そのニュースに人一倍感動した小室先生は「おれもノーベル賞を取るんだ」と迷わず京大を目指したようです。もちろんストレートで合格した。特待生だから奨学資金も簡単に受けられた。怪物的天才ぶりは京大の理学部数学科に進んでから、さらに磨きがかかり、京大に数学の小室ここにありと、高下駄を履いて、若い長身の小室先生が風を切って校内を闊歩していたらしい。

ハギワラ 会津高校を卒業して小室先生が京大に、渡部さんが早稲田に離ればなれになるとき、ふたりで白虎隊で有名な飯森山に登り「恒三、おまえは将来政治家になってプライム・ミニスターになれ。おれは数学でノーベル賞を取るぞ」と力強く誓ったそうですが、これもいい話ですね。

立木 青春時代の夢は大風呂敷なほど美しいものだ。

シマジ そのとき小室先生は渡部さんに古い英語の原書に「プライム・ミニスター渡部恒三へ、 源氏の臣、小室直樹」とサインして贈った。ふたりの熱い誓いは見果てぬ夢に終わったけれど、小室先生は学問の世界で確固たる怪物的存在を示し、多くの名著と優れた弟子たちを遺したし、一方の渡部恒三さんは政界の押しも押されぬ大長老になった。

立木 青春時代の男同士の友情ほど美しいものはないな。ますますおれは渡部恒三さんが好きになってきた。

シマジ その友情は途切れることなくずっと続くんだよ。これも渡部恒三さんから直接聞いたエピソードなんだが、「たしか1965年のころだったと思うが、銀座の菊池病院から電話がありましてな、『小室直樹って知ってるか』というんだな。『ああよく知っている』といったら、小室がアメリカから帰ってきた直後のことで、まったく金がなくなり、銀座で行き倒れになったところを警察に保護されて、菊池病院に緊急入院したらしいんだ。それで小室が『渡部恒三に電話してくれ。恒三はおれの子分だ』と、最後の声を振り絞って叫んだらしい。もちろん、わたしはすぐさま菊池病院に飛んで行った」

ハギワラ 行き倒れって誇りある人間にしかいま出来ませんよね。

シマジ 渡部さんはそのときはじめて小室先生がアメリカから帰国していたことを知ったそうだ。おれが思うのは、経済学者のサミュエルソン教授や社会学者のパーキンソン教授のような20世紀の輝ける学者たちにじかあたりして学んだ小室の名刀のように磨き上げた学問の才能を、戦後の日本の大学は認めることなく、また小室のほうも学問の世界に認めさせようとする野心もなく、銀座で行き倒れになるのは自然の流れだったんだろうな。

木村 小室先生は行き倒れになるくらいですから、お肌は荒れていたでしょうね。

ハギワラ まさに異端の大学者ですね。

木村 小室先生は一生独身だったのですか。

シマジ それが50歳を過ぎてから、賢夫人になる女性と巡り会い結婚した。

立木 小室先生はもし結婚していなかったら、長生きしていなかったのではないだろうか。

シマジ いい質問です。そうだと思います。奥さんは小室先生の生命維持装置の役目を果たしていましたね。好きなお酒も禁止されていたようです。だからふたりで上野の山に桜を見物に行ったとき、はじめは一緒に人混みのなかを歩いていたら、小室先生が突然いなくなった。どうしたんだろうと思っていたら、3時間後、ぐでんぐでんに酔っ払って小室先生がご帰宅されたそうだ。

立木 お見事!小室先生は可愛い人なんだね。でも、シマジが作った小室先生の『痛快!憲法学』、あれは希有な名著だよ。

シマジ ありがとうございます。おれが作った多くの本のなかで、あれは自慢できる秀逸な一冊かな。

ハギワラ それにしても大宅壮一が書いたという「怪物は容貌魁偉である」って言葉は意味深いですね。

立木 たしかにいまの日本人の顔は全員、のペっとしているものな。オーラいっぱいの迫力ある顔ってこのところお見かけしない。

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