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第8回明治神宮前 PIZZA KEVELOS 小原直氏 第3章 陶芸家を彷彿とさせる繊細で確かな技。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

ピッツァ焼きの名人、小原直の焼くピッツァは官能的な味がする。真っ白な生地を台の上に乗せて、薄く丸い形に伸ばしていくときのデリケートな手つきがまたエロい。トッピングをしたあと、先の平たいパーラという長い板の上に一瞬で生地を乗せるのだが、“液体の生き物”は小原にかかると“固体”のように見えてくるから不思議である。これは至難の技である。しかしその所要時間はわずか2分、それから生地は500度の釜のなかにパーラで移され、約1分後、焼きあがったピッツァが大きな皿に移され、切れ目を入れて出来上がる。一連の流れるような作業は、陶芸家の繊細で確かな技を彷彿とさせる。まさに小原はイタリア語でいうピッツァイオーロ、熟練のピッツァ職人である。

シマジ:薪はなんの木を使っているんですか。

小原:ナラの木です。

シマジ:薪にはナラの木が一番らしいですね。

小原:火持ちがいいですね。火力も強いです。

シマジ:朝は何時に店に入るんですか。

小原:朝10時にはこの釜の前にいますね。いちばん気を使うのはミキサーで小麦粉と水を混ぜる瞬間です。生地が柔らか過ぎても硬過ぎてもダメなんです。大げさではなく、わたしは生地に合わせて生活しているようなものです。

今西:ピッツァがこんなに繊細な食べ物とは、いままで思ってもみませんでした。

立木:料理人は変態のほうが成功するんじゃないの。彼のこのピッツァに対しての思い入れと気配りは尋常ではないよね。

小原:立木先生、ありがとうございます。

シマジ:いままでどこで修行したんですか。

小原:三宿にある「サボイ」です。尊敬できるピッツァ職人にも会えました。でもあそこの常連さんがフラリとやってきて、召し上がって小声で「小原、おまえのほうが美味いぞ」と言われたときには、正直天にも昇る気持ちでしたね。実際、自分としてはまだまだだと思っているんですが。わたしの理想のピッツァはまだ完成途中です。

シマジ:現状に満足しないところがいいね。

今西:ホントに小原さんの作ってくださるピッツァは美味しいです。今日は4枚食べましたがどれも甲乙つけがたいです。シマジさんはここの全種類のピッツァを食べたんですか。

シマジ:はい。

立木:お嬢、そこにあるスパイシー・ハイボール・セットを見れば、シマジがここの常連かどうか一目瞭然だよ。

今西:まるでマーキングなんですね。

シマジ:今西さん、今日は4枚召し上がりましたからほとんど無理でしょうが、デザート・ピッツァもあるんですよ。

今西:へえ、そうなんですか。

シマジ:全体にキャラメル味で、上にアイスクリームが2つ乗っています。食べてみますか。

今西:いえ、やはり今日は無理です。今度の愉しみにしておきます。

小原:名前がウルティマというピッツァです。それを食べながらうちのエスプレッソをストレートで飲んでいただければ最高ですよ。

立木:シマジ、本を買って読んで、なんてケチ臭いことは言わないで、せっかく松山出身のお嬢が来ているんだから、坪内寿夫さんの偉大さを2人に話してあげたらどうなんだ。

シマジ:なるほどね。さすがはタッチャン、わかりました。むかしむかし、四国の松山に坪内寿夫さんという怪物がいました。

立木:むかしではないだろう。坪内さんが亡くなられてまだ30年も経っていないだろう。

シマジ:そうだね。もし坪内さんが生きていてこのピッツァを召し上がったら、小原シェフを奥道後ホテルに招待したでしょうね。

小原:凄い話になってきましたね。

シマジ:これと同じピッツァ釜をホテルに作らせ、月に2、3度は小原さんがホテルに行って指導させられたんじゃないですか。

今西:豪快なお方だったんですね。

シマジ:赤坂に料亭中川という店があったんですが、居抜きでそのまま奥道後ホテルの庭に持って行ったくらいですから。坪内さんをモデルに柴田錬三郎先生が「大将」(集英社文庫)という小説を書き、半村良先生が「億単位の男」(集英社文芸単行本)を書いたくらいの怪物でした。

立木:そうそう、そんな感じで2人がシマジの話を聞き惚れているところをおれは撮りたかったのよ。

シマジ:坪内さんは戦後シベリアに捕虜として抑留されていたんです。しかしそこでも坪内さんは“怪物性”を発揮したんですよ。

小原:うーん、なんだか面白くなってきましたね。

今西:事実は小説より奇なりといいますからね。

シマジ:これは坪内さんに直々に聞いた話ですが、坪内さんは3年半シベリアに抑留されていたんです。なんせ喰うものがろくにない。ひもじいし外は零下40度の極寒で、大勢の日本人が死んでいきました。そんななか、坪内さんが肉の解体工場で働いていたとき、決死の覚悟で子豚1頭を盗んで、それを部屋のストーブで焼いて仲間の日本人に食わせてやったそうです。

小原:へえ、どうやって盗んだんでしょうか。

シマジ:いい質問です。わたしも坪内さんにそのことを尋ねると、「みんなはソーセージとか缶詰とかこまいものを盗んでポケットに入れて、身体検査でバレてひどい拷問に遭うんですが、わしの場合、子豚1頭を背中に背負ってその上から服を着て身体検査を堂々とパスしたんですわ。シマジさん、悪いことも、想像を絶するくらいのデカイことだとバレないんですわ。アッハハハ」と笑っていました。それで多くの仲間を救ったんです。そうして救われた方がたまたま奥道後に坪内さんを訪ねて来ていたときに、わたしも居合わせたことがありました。

今西:坪内さんって義侠心に厚い方だったんですね。

シマジ:そうです。坪内さんは相手の喜ぶ顔を見るのを趣味みたいにしていた方でしたね。それから帰国して、お父さんの経営していた松山の芝居小屋を映画館に作り直して大成功するんです。しかも当時は各映画会社の規制が厳しかったなか、アイデアマンの坪内さんは、違う系列の映画の2本立て上映を日本で初めて行ったんです。わが国に映画ぐらいしか娯楽がない時代に、ですよ。このアイデアで坪内さんは一夜にして四国の大富豪になったんです。瞬く間に松山に4軒、四国各地に20軒、合わせて24軒の映画館を経営するようになりました。どの映画館も朝から長蛇の列ができて、深夜まで超満員だったそうです。自分としてはもっとでっかい男になってやろうと思っていたところ、向こうから強運の女神がドアをノックしてやってきたんです。

今西:やっぱりシベリアで多くの仲間を助けたということを天が見ていたんでしょうね。

シマジ:ちょうどそのころ、住友系の中規模の造船会社、来島船渠が戦後の激しい労使紛争の結果閉鎖されていたのを買い取ってくれないか、というどでかい話が坪内さんのところに舞い込んできたんです。映画館で巨万の富を築いた坪内さんは、若いとき弓削商船学校を卒業していた関係もあって、それを買うと来島ドックと命名してオーナーになったんです。

小原:へえ、やっぱり小説以上に面白いお話ですね。

シマジ:坪内さんの凄いところは、労働力を刑務所の囚人から雇い入れて、刑を勤めるとそのまま来島ドックに雇っていたんですよ。

今西:徳を積まれたお方だったんですね。わたしも子供のとき大きな奥道後ホテルには何度か行きましたが、あそこのオーナーはそんなスケールの大きな方だったんですか。

シマジ:あのホテルはちょうど霞ヶ関ビルを横にした大きさなんですよ。あれも坪内さんのアイデアだったんです。

立木:もしも坪内さんが生きていてこのピッツァを食べたとしたら、美味いと感激して、店ごと買いたいと言われたかもよ。

小原:仮にそんなことがあったとして、わたしとしては経営よりも、とにかく自分の理想の美味いピッツァが焼ければそれでいいですよ。

新刊情報

Salon de SHIMAJI バーカウンターは人生の勉強机である
(ペンブックス)
著: 島地勝彦
出版:阪急コミュニケーションズ
価格:2,000円(税抜)

今回登場したお店

KEVELOS明治神宮前店
東京都渋谷区神宮前6-12-4 ヒダノビル 1F
Tel:03-6450-5584
>公式サイトはこちら (外部サイト)

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