秋田県出身のぱーちゃんさんと三重県出身のみーまーさん。おふたりが出会ったのは、三重県。きっかけは、同じ大手メーカーに勤務していたことだったという。「ふたりで大阪万博に出かけたことがあって。私が『結婚しよう』と意思を固めたのは、あのときですね」と41年前を振り返るぱーちゃんさん。
翌年、26歳のぱーちゃんさんは、22歳のみーまーさんとご結婚。その後、三重県内だけで3回の引っ越しをし、女の子と男の子、ふたりのお子さんが誕生したという。そして、4回目の引っ越しでは、横浜へ……。みーまーさんは、当時のことを、こう教えてくれた。
「2人目を出産して、1?2ヶ月で転勤が決まったんです。両親はすごく心配していました。私は、都会に行けると思ってうれしかったんですけどね。それに、引っ越した先は、会社の集合住宅で。近しい年齢の人が大勢住んでいて、それはそれは、毎日楽しかったんですよ!」。
ぱーちゃんさんも「社宅のみんなで、季節ごとに行事をしました。バーベキューやセミ採り、旅行にも行きましたね。週末は酒盛りをして……」と、にぎやかだった日々を懐かしむ。
その6年後には横浜を去り、小田原、豊橋、仙台……と、さらに8回の転居をしたおふたり。子育てが大変だったのでは?との質問に、みーまーさんはサラリとこう答える。
「私は、夫についていくのは当たり前と思っていました。子どもが転校を不安がったこともあったけれど、『あなたたちの生活があるのは、お父さんが頑張って働いてくれるおかげなんだから』って教えてきたんです」。
ぱーちゃんさんは、このことには今でも感謝しているそう。
「単身赴任をしている男性が増えてきた頃には、私も『一人でいくよ』と言ったこともあったんですけどね。『いい、一緒に行く』って言ってくれて。荷造りも、妻がひとりでどんどんやっちゃう。私が手を出すと、『邪魔だ』なんて言われて(笑)」。
夫婦で寄り添い、支え合ってきた転勤生活。しかし、そのなかでは、さまざまな苦労もあったという。
「子どもの荷物が増え、ダンボールだけで92個になったことも。子どもの学校の都合で、半年ほどは3世帯にわかれて暮らした時期もありました」。
その一方で、ぱーちゃんさんは、子どもの頃からの夢を叶えることもできたとか。
「ずっと、富士山が見える場所と隅田川の近くに住みたいと思っていたんです。小田原に越したときには、勝手口を開けるとバーンと大きく富士山が見える家で。素晴らしい眺めでしたね」。
住んでみて良かった場所は?とたずねると、そろって「今の家がいちばん」と答えてくれたおふたり。最後の引っ越しで選んだのは、都内のマンション。ぱーちゃんさんが子どもの頃から住みたかったという、隅田川の近くだ。
仕事でいつも帰りが遅かったというぱーちゃんさんは、7年前に退職。子どもたちは結婚し、今はご夫婦ふたりで生活しているという。みーまーさんは、60歳を超えてから始めたマラソンに、遊びにくる孫たちの世話にと、充実した毎日を過ごしているそう。「大会にも出ているけれど、やっぱり年には勝てないな」と笑いながらも、「東京マラソンに出たいですね」と夢を語ってくれた。
ぱーちゃんさんは、そんなみーまーさんを「金メダルをあげたいほどのスーパーママさん」と称する。
「60歳までは、仕事をしている男が表舞台に立っているでしょう? だから、今度は妻が、どんどん表に出て行ったらいいと思うんです」。
今回当選した『金谷ホテル』への旅行では、「日光に行く東武鉄道は、出張でよく使っていました。だから、あそこにはこれがある、あれがあるって、妻に教えたいなと思っています」というぱーちゃんさん。みーまーさんも、「普段はあまりしゃべらない主人なんですが、外に出ると、色々話すんですよ。だから、今回は私が聞き役かな」と、ふたりで過ごす語らいのときを楽しみにしているようだ。
長年の勤務と転居を終え、やっとたどりついた穏やかな空間。ここではきっと、今まで以上にやさしさに溢れた"いい時間"が流れていくことだろう。