Back to Top

第3回 銀座 バー夕凪 神木俊行氏 第3章 なにかを得るとなにかを失うのが人の世の定めだね。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

むかしの男はバーに通って大人になったものだ。酒にも格があり、当時の学生たちはトリスのハイボールやレッドの水割りを煽っては酔っぱらっていた。長じてサラリーマンになると白やオールドを飲むようになった。わたしは高校生のころからこっそりバー通いをしていたが、たしかトリスのハイボールが50円で、ストレートが40円だったと記憶している。わたしが編集者になったころにはサントリーオールドが隆盛を極めており、水割りがブームになっていた。はじめて飲んだサントリーオールドの味はいまでも忘れていない。やがてだんだん舌が肥えてきたのか、わたしはオールドパー、ロイヤルハウスホールド、バランタインを飲むようになった。まだシングルモルトのブームはきていなかった。当時の日本人の海外旅行土産といえば、ジョニーウォーカー3本と相場が決まっていた。

シマジ: 日本人も贅沢になったものだね。神木や田中さんが生まれる前の日本はまだまだ貧しく、サントリーの角など高嶺の花の時代があったんだよ。

立木: おれの学生時代はよくサントリーレッドの水割りを飲んだものだ。それがいまやサロン・ド・シマジ・グレンファークラス32年だからね。亡くなられた先輩たちのことを思うとシマジはバチが当たるよ。

神木: でもグレンファークラス32年を開けますと、うちでは飛ぶように売れるんですよ。

立木: それじゃ神木もバチが当たる。

田中: わたしも先程から「美味しい、美味しい」と飲んでいますからバチが当たるでしょうか。

立木: お嬢は美人だからバチは当たりません。

シマジ: アッハハハ。それってタッチャンの単なるえこひいきじゃないの。

立木: 「すべての文化はえこひいきからはじまる」ってシマジがどこかに書いていなかったか。

シマジ: うん、書いたような気もする。

立木: 開高健の名コピー、「『人間』らしくやりたいナ トリスを飲んで『人間』らしくやりたいナ 『人間』なんだからナ」が大ヒットしたように、戦後から高度経済成長期にかけての日本人は、生活の中に人間らしさを取り戻そうとしていたんだろう。結果、シマジみたいな人間が出来てしまったんだな。生意気にもスコットランドの蒸留所まで行って自分の名を冠したボトルを作ってくるなんて、開高さんが知ったら大きな体をよじって嫉妬するよ。おれにはそれが目にみえる。

シマジ: そうかな。むしろ「シマジ君よくやった。グレンファークラス蒸留所から名入りのプライベートボトルを出せたのは偉い。君の人たらし術も外人相手にまで通用するようになったのか。わしにも一本くれや」といわれることでしょう。

神木: 開高さんはウイスキーをストレートで飲まれていたそうですね。

シマジ: そうだよ。もともと酒が強い開高さんにしてみれば、ワインなんかアルコール度が弱くていくら飲んでも酔えなかったので、1人のときはもっぱらウォッカを飲んでいたくらいだ。ウイスキーはストレートオンリーだったね。おれはエジンバラのバーでスコットランド人がストレートでは絶対に飲まず、必ず加水して飲んでいたのを目撃してからいつも水を足して飲んでいたんだが、「シマジ君、軟弱やな」と軽蔑されてしまったくらいだよ。

立木: 昭和一桁生まれの日本人はストレートで飲む強者が多かった。

シマジ: そう、山口瞳なんか「おれはウイスキーを水で割るほど貧乏していない」と豪語していたからね。だから多くの昭和一桁生まれのおれの素敵な先輩たちは惜しいことに、食道ガンで命を落としているんだ。

神木: なるほど。だから伊勢丹のサロン・ド・シマジではストレートを禁止しているんですか。

シマジ: その通り。食道ガンで亡くなられてお客さまが減ったら困るからね。

田中: ウイスキーってそんなに度数が強いんですか。

シマジ: シングルモルトの強いものは60度以上ありますからそれをストレートで飲むのはやはり粘膜を痛めるでしょうね。

立木: でもトリスを飲んでいたころの日本人はいま以上に幸せだったんじゃないか。いまのようにインターネットもメールもなかったから、手紙はちゃんと万年筆で書いていた。それにいまより多くの人が本を読んでいた時代だった。

シマジ: そうだろうね。会社でもしょっちゅう先輩と後輩が飲んでいたからね。コミュニケーションが濃密だった。いまは同じフロアで仕事している会社の仲間にメールでランチに行かないかと交信するらしいからね。文明は文化を破壊するってことかな。

立木: なにかを得るとなにかを失うのが人の世の定めだね。

シマジ: さすがは立木先輩いいこといいますね。文明はどんどん発達して便利になってきたが、人間の豊かさみたいものはどんどん劣化しているのが現状でしょう。この間伊勢丹のサロン・ド・シマジのバーにきたお客さまが面白いことをいっていた。その方の友人の話なのだが、定年退職した亭主がうちにいて朝から晩まで本ばかり読んでいるので奥さんがいった。「あなた、わたしと本のどちらが大切なの」すると亭主はちょっと脇に本を置いて、奥さんの顔をまじまじとみて答えたそうだ。「お前はおれの宝もの、本は人類の宝ものだ」

神木: うまいこといいますね。

シマジ: それはその亭主が本を沢山読んでいたからこそ当意即妙にそれだけのセリフを吐けるんだろう。これが本ではなくテレビばかりみている亭主だったらどうだろう。「お前はおれの宝もの、テレビは人類の宝ものだ」やっぱりサマにならないな。軽薄に感じるね。

立木: それでもシマジはテレビでシャーロック・ホームズをみて感心していたではないか。

シマジ: そうそう、NHKの深夜BSでやっている「SHERLOCK」には度肝を抜かれた。なんたって凄いのはホームズが現代に蘇り、iPhoneを使うんだからね。しかも『シャーロック・ホームズの冒険』の名作「ボヘミアの醜聞」を題材にして、物語を現代版にしてもっと複雑でスリル満点にしてある。映像もきれいなんだ。アイリン・アドラー役の女優がエロくて美しかった。

田中: そうですか。わたしもこれからみます。

神木: わたしは仕事中ですから録画してみます。

シマジ: 録画する価値は十分あるよ。

立木: さすがにBBCはいい番組をやるね。

シマジ: ところで神木は最初は銀座のどこのバーで修業したの。

神木: 田中角栄さんの息子の田中京さんがやっていた「アールス・コート」で働いていました。

シマジ: 知っている。あそこには古くていい酒が置いてあったね。

神木: お店の備品にもお金がかかっていましたね。田中さんにはいいお酒の味も教えていただきました。

シマジ: 「アールス・コート」はいつの間にか銀座からなくなったね。

神木: はい、田中さんはいま神楽坂のほうで「空」というダイニング・バーをやっておられます。

シマジ: そう、おれがまだPLAYBOYの編集者時代に田中さんには一度インタビューしたことがある。なかなかチャーミングな男だった。そうか、今度行ってみよう。

神木: じつはわたしもまだ「空」には行っていないんです。近々ご挨拶しに行って参ります。

シマジ: そのほうがいい。弟子はいつも師匠を崇めていないといけない。男は一度惚れたら一生ものだからね。

立木: それで迷惑している男がひとり、ここにいることをお忘れなく。

シマジ: 男と男というものは何年、いや何十年と会わなくても、再会したときにはまるで昨日別れたばかりのように会えるものだ。女と男ではそうはいかない。

立木: 幸か不幸か、おれはヘタをすると月に3度もシマジと一緒に仕事をしているんだよ。

田中: いまでもお二人とも現役なんですから凄いです。

立木: そうかな。

<次回 第3回第4章 6月27日更新>

今回登場したお店

BAR YU-NAGI
バー夕凪

〒104-0061 東京都中央区銀座6-8-6木の実ビルB1F TEL:03-3572-9977
>公式サイトはこちら (外部サイト)

PageTop

このサイトについて

過去の掲載

Sound