撮影:立木義浩
<店主前曰>
人生の幸せの一つは腕利きの一流の料理人にえこひいきされることである。「マサズキッチン」のオープンキッチンから鯰江シェフが客席を見渡すと、一目瞭然に個々のお客の舌の体験度がわかるらしい。幸いわたしは鯰江シェフから極上のえこひいきをされている客の1人である。
一方資生堂からのゲスト石原万里江さんはまだ“資生堂人生”6年目である。幸いかな、SHISEIDO MENを中心とした商品開発担当に従事されている。
シマジ: 石原さん、ここの中華料理はいままでの中華料理の概念を超えたものだとわたしは思っているんです。
石原: たしかに先程いただいたチャーシューは焼きたてという感じでとても美味しかったです。
鯰江: いい舌をしていらっしゃいますね。うちのチャーシューはチャーシュー釜で焼いているのではなく、オーブンで少しずつ作っているんですよ。ですから昼に焼いて残ったチャーシューを夜のお客さまにお出しするようなことは致しません。夜用は夜用としてあらためて焼くんです。
石原: 手間をかけていらっしゃるんですね。チャーシューの甘さに蜂蜜の味を感じました。
鯰江: 鋭い。わたしは極力砂糖は使わない主義なのです。
立木: 中華料理は結構砂糖を使うほうだよね。
鯰江: おっしゃる通りです。普通は結構使います。
立木: ではみんなでカメラをみてくれますか。そうそう、お嬢、美味しい中華を食べた顔をして--。はい、OK。
シマジ: いつも訊こう訊こうと思っていながら今日まで訊きそびれていたんですが、シェフ、「マサズキッチン47」の47というのはどういう意味があるんですか。
鯰江: ここをオープンしたのがリーマンショックの1週間前だったんですが、その頃ニューヨークなどで店名の最後に数字をつけるのが流行っていたのでただ真似てみたんです。「47」とは「シナ」という意味です。あまり深い意味はありません。
シマジ: そうでしたか。それにしても大変な時期にオープンしたんですね。
鯰江: ちょうどわたしも42歳でしたから、この辺で独立しないとあとがないなと直感したんです。
シマジ: シェフはその前は渋谷の文琳で働いていましたよね。
鯰江: そうです。ゴルフ仲間でありお客さまでもあった「松玄」のオーナー、松下義晴さんのお力を借りて「マサズキッチン47」をオープンすることが出来たのです。料理人にこのような店をプロデュースする財力は残念ながらありません。両親が余程の富豪でもない限り無理でしょうね。
立木: 富豪の息子は働かないものだよ。シマジをみなさい。73歳にもなってこんな馬車馬のように働いているのは、お里が知れている。
シマジ: タッチャンもワーカホリックじゃないか。
立木: そうかな。いや、おれもどうしたわけか仕事大好き人間なんだよな。
シマジ: シェフも働き者ですよね。
鯰江: そうですね。ここはオープンキッチンですから、なにしろサボれませんからね。でもお客さまにみられている緊張感が気持ちいいですし、お客さまが満足している様子や、この方は肉の脂身に弱いんだなということを観察出来るのもオープンキッチンのいいところですね。
石原: 一見すると、シマジさんには上品なお金持ちのオーラがありますよね。
シマジ: 嬉しいですね。健康そうにみえるとか、金持ちそうにみえるというのが人生の要諦なんですよ。大金持ちでも貧相にみえる人、というのも世の中にはいますからね。
立木: そういう大金持ちはわざと貧相にみせているんじゃないか。
シマジ: でも人間はみてくれというものが重要なのです。実際にはわたしは稀代の浪費家ではありますが、金持ちではありません。
鯰江: 石原さんはサロン・ド・シマジ本店に行かれたことはありますか。
石原: いいえ、まだありません。
鯰江: わたしは一度シマジさんに招かれて伺ったんですが、驚きました。まず部屋中にシングルモルトがところ狭しと林立しているんです。
石原: それは『迷ったら、二つとも買え!』の口絵でみております。すごく広々とした素敵なお部屋ですよね。
立木: お嬢、ちょっと待って。サロン・ド・シマジ本店というところでおれは毎月対談の撮影をやっているんだけれど、あそこは5人も人間が入ると息苦しいくらい狭いんだよ。それをシマジは「平成の千利休の世界」だとうそぶいているんだ。それでももう4年くらいやっているんで、狭いところを広くみせる技がいつのまにか磨かれてしまったけれどね。
シマジ: このSHISEIDO MENの連載もはじめはおれの担当編集者12名と毎月1名ずつ対談したんだけど、ほとんどサロン・ド・シマジ本店でやったんですよ。
鯰江: でもあそこは遊びごころのある男の隠れ家という感じでしたね。驚くべきことに200本以上はあるシングルモルトが全部開栓されていて、なにを飲んでもOKなんですよ。葉巻だって5個も大きなヒュミドールがありました。それから壁には藤田嗣治の猫の絵があったり、今東光大僧正の見事な書が額装して飾られていたりするんですよ。
石原: 是非拝見してみたいですね。
シマジ: 女人禁制なんです。
立木: ウソつけ、中野香織をはじめ多くの女性をおれに撮らせているじゃないか。
シマジ: 冗談です。いいですよ、1人は問題だから、そうだ、倉本と一緒ならいつでもいいですよ。
石原: それでは今日このあとどうでしょうか。
シマジ: 今日はこのあと食事の約束が入っているんです。今度必ず招待します。約束しましょう。
石原: うれしいです。倉本さん、参りましょうよ。
倉本: 喜んで。
立木: 倉本、お嬢とシマジのところに行くのなら酸素ボンベを持っていくようにな。狭いから息苦しくなるよ。
石原: スマホで写真を撮ってもいいですか。
シマジ: なにを撮っても構いませんが、こんな話がありますよ。わたしがご馳走するシングルモルトをスマホで撮った若者がオーセンティックバーに行って、「これと同じものを飲みたいんです」と注文した。「お客さま、なかなか上等なシングルモルトを飲んでいらっしゃるんですね」と出されて飲んだ。最後に勘定書きをみてその若者は椅子から転げ落ちそうになったそうです。会社の上司とたまたまサロン・ド・シマジに遊びにきた若者だったんですがね。
鯰江: わたしもシマジさんのところで飲ませてもらった山崎のミズナラというシングルモルトの美味しさには感激しましたね。はじめは白檀の香りがして、喉越しでモモの香りがするんですよ。あんな体験ははじめてでした。
シマジ: シェフ、そこまでわかってくれてご馳走した甲斐がありました。
鯰江: でも、ずいぶんお高いものをいただいてしまったのでは。値段を聞くとわたしも腰を抜かすかもしれませんね。
シマジ: あれはヨーロッパ向けに輸出したものを逆輸入させて買ったものです。値段は忘れました。わたしは買ったものの定価はすべて忘れるようにしているんです。面白い、美しい、美味いと感じられれば、それだけで幸せなんです。
立木: 値段を考えているとそんなにボンボンとボトルを開けられないからじゃないの。
シマジ: ご明察、かもしれませんね。