Back to Top

第10回 東麻布 月下 小澤伸光氏 第1章 人生の酸いも甘いも噛み分けた素敵な笑顔である。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

東京タワーの真下にあるお洒落なオープンバー、「月下」のカウンターに1人立つ名バーマン、小澤伸光(68)とわたしは古い仲である。小澤バーマンは高校卒業と同時に自ら進んでパレスホテルのバーマンになった。それからフレンチの名店「アピシウス」のシニアソムリエとして名を馳せた。いまから約30年前、わたしは開高健先生とよくアピシウスに通っていた。文豪開高健を唸らせるほど、小澤バーマンの作るマティーニは極上の味がした。それから月日が流れ、伊勢丹メンズ館8階に「チャーリー・バイス」が出来ると、そこのカウンターに突然、小澤がバーマンとして登場した。人生は運と縁である。小澤バーマンは7時半に店仕舞いすると、必ずわたしのバー、サロン・ド・シマジにやってきてくれ、スパイシー・ハイボールをダブルで2杯飲み、シガーを1本吸った。わたしは小澤バーマンの笑顔が大好きだ。人生の酸いも甘いも噛み分けた素敵な笑顔である。

シマジ:小澤さん、お久しぶりですね。

小澤:最近は伊勢丹のサロン・ド・シマジになかなか行けなくてすみません。

シマジ:バーを一人で切り盛りしているとお忙しいでしょう。この辺りは桜が咲くころにはとくに美しいことでしょうね。

小澤:はい、春の桜も美しいですし、東京タワーのライトアップも四季それぞれに趣がありますね。クリスマスなどのイベントやプロモーションで「特別ライトアップ」と称して、いつもより豪華にバージョンアップされることもあります。

立木:小澤さん、「アピシウス」でお世話になりました立木です。

小澤:立木先生とは、うちの社長だった森の、アラスカの別荘でお会いしましたよね。開高先生がアラスカの黒熊を撃ちに森と一緒に来られたときです。

立木:シマジの仕事で開高さんがヘミングウェイよろしくハンティングに行ったときでしたね。

シマジ:その一部始終は週刊プレイボーイに載せましたよ。しかも開高先生はその黒熊を剥製にしてわたしの自宅に送ってきたんです。見事な注意書きもつけて。

小澤:なんて書いてあったんですか。

シマジ:記憶が正しければ、こういう感じでした。
「アラスカのクロクマを一頭贈る。君の家のサロンの褐色砂岩の強大なファイアプレースの前に敷いてもいいし、壁にかけてもいい。壁にかけるときは4本の足とアゴの裏にリングをしっかりと縫いつけ、壁にネジ釘をさしこんで、それに吊すようにすればいい。そのすぐ横に頭蓋骨のトロフィーをかける。クロクマはブラウンベアにくらべると体は小さいけれど、老獪、賢明、忍耐、敏速すべての点でケタはずれに抜きん出ている。“アラスカでもっとも手に入りにくい獣”とハンティングのプロたちは言い習わしている。島地勝彦様 ごぞんじ」とありました。

小澤:シマジさんはホントに開高先生に可愛がられていたんですね。

立木:開高さんはシマジのサロンがあんなに狭いとはゆめゆめ思わなかったところが可笑しいね。

シマジ:そうだ、小澤さん、今日は開高先生がよく飲まれた小澤式マティーニを作ってください。

小澤:あのマティーニはわたしが考案したのではなく、パレスホテルにいたときのわたしの師匠、今井清さんが考案された“今井式マティーニ”なんですよ。

シマジ:どこがどうちがうんですか。

小澤:まずジンを冷蔵庫に冷やしておきます。ノイリー・プラットとグラスとオリーブの実も冷蔵庫に冷やしておく。氷はもちろん氷屋の氷を使う。今日のジンはタンカレーのテンを使いましょう。

シマジ:それではお願いします。

小澤:はい、どうぞ。

シマジ:わたしが飲む前にタッチャンに飲んでもらう、のではなく、写真を撮ってもらいます。

立木:シマジ、ちょっと我慢して待っててくれよ。

シマジ:小澤さん、こんな感じで本日はカクテルを4種類作ってください。

小澤:承知しました。それでは次はフローズン・ストロベリー・ダイキリにしますか。

シマジ:色味がガラッと変わっていいですね。ベースはなんですか。

小澤:ラムです。

立木:シマジ、お待たせ、美味そう。小澤さん、撮影が終わったらわたしにも一杯お願いしたいですね。

小澤:喜んでお作りしますよ。

シマジ:懐かしい味がします。開高先生の大きな声を思い出しますよ。

小澤:開高先生もシマジさんも声が大きいから、いつも個室にご案内したものです。

シマジ:開高先生自身「わたしの声はハイバリトンなんや」と自慢していましたものね。いつだったか、ある瀟洒なレストランで二人で夕刻から大きな声でジョークを言い合いながら大声で笑っていたら、奥のほうにいたカップルの客から「静かにしてください」とウエイターを通して文句を言われたことがありました。おそらく二人は別れ話でもしていたんでしょうか。すると開高先生は「シマジ君、出よう」とその店を退散したんです。だから小澤さんがわれわれを個室に案内されたのがよくわかります。

小澤:開高先生は酔うほどに声が大きくなりましたからね。

立木:「声の大きな人間に悪人はおらん」と言いながら、文豪は辺りをはばかることなく大声でしゃべっていましたよね。わたしも声は大きいんですが、どうも難聴気味で、それが原因らしいんです。シマジも開高さんも難聴だったんではないですか。

小澤:はい、フローズン・ストロベリー・ダイキリです。

立木:小澤さん、早くこちらにください。まごまごするとシマジに横取りされて飲まれてしまうから。

小澤:ではこの次はモヒートを作りましょうか。

シマジ:いいですね。

小澤:あっ、マティーニはもう飲んじゃったんですか。

シマジ:開高先生がこれは冷たいうちに3回くらいでグビグビっと飲んだほうがいいといつもおっしゃっていたではないですか。

立木:シマジ、はい、フローズン・ストロベリー・ダイキリはOKだ。

シマジ:ありがとうございます。

小澤:モヒートが出来ました。立木先生どうぞ。

シマジ:小澤さんが作るモヒートは変わっていますね。キューバで飲むモヒートはザラメが入っていますよね。

小澤:わたしのはカッポヴィラのラム、ミントはたっぷり、ライム、クラッシュアイスを使います。それらをソーダで割ってミントを添えています。

シマジ:うん、美味そう。早く飲んでみたい。

立木:その前にダイキリを飲んでいろ。あれっ、もう飲んでしまったのか。それじゃ光より速く撮ってやるから待っていろ。

シマジ:大丈夫、待っていますよ。小澤さん、最後はマンハッタンをお願いします。

小澤:わたしの作るマンハッタンはベースがカナディアン・ウイスキーで、チンザノと、レッドチェリーをカクテルピックで刺したものを添え、上からレモンピールで香りをつけます。

立木:はい、シマジ、モヒートはOKだ。

シマジ:ヘミングウェイはこれをハバナで毎晩10杯飲んでいたというから酒豪だったんだね。でもあの文豪はせっかくハバナに住んでいたのにどうして葉巻を吸わなかったのか、いまでも謎なんですよ。

立木:そういえば開高さんもシガーはやらなかったんじゃないか。

シマジ:そうなんです。だから開高先生が他所からいただいたシガーはすべてわたしに回ってきたんです。ヒューム卿からもらったというシガーは特別に美味かったですよ。

小澤:はい、立木先生、マンハッタンが出来ました。

立木:シマジ、モヒートをゆっくり飲んでいてくれよ。それにしても資生堂の連中は遅くないか。

シマジ:そうですね。でもまあ、開高先生がよく言っていたように、毒蛇は急がない心境で待ちましょうよ。

立木:おまえも毒蛇は急がない心境でゆっくり飲んでいてくれ。

シマジ:了解。

新刊情報

Salon de SHIMAJI バーカウンターは人生の勉強机である
(ペンブックス)
著: 島地勝彦
出版:阪急コミュニケーションズ
価格:2,000円(税抜)

PageTop

このサイトについて

過去の掲載

Sound