Back to Top

第4回 六本木 格之進 千葉祐士氏 第2章 「全身焼肉屋」のイッてる目つき。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

現在44歳の働き盛りにして飛ぶ鳥を落とす勢いの千葉祐士社長にも、かつては迷いや挫折の日々があった。
彼は東北学院大学経済学部商学科を卒業して、東京の一部上場のフィルムメーカーに就職、そこで営業を担当した。
「わたしが卒業したのは大学の“笑学部”でして、社会人になったころはまだ食肉事業のことなどこれっぽっちも興味がなかったんです」と過去を振り返る。
約2年間、真剣に取り組んではみたものの、「おれの人生、このままでいいのだろうか」と、上司に媚びを売ってのサラリーマン生活に疑問を覚えることもあった。そんなあるとき、一関の実家に帰省した。兄が経営する牛舎で牛の群れをぼんやりみているうちに
「あっ!牛がいる!実家は牛肉の原料メーカーだ!」と発想した。「そうだ牛のユニクロをやろう!!!自分達で作った物に自分達で値段を付けよう!!」
と前向きな気持ちが湧いてきた。だが現実の厳しさに直面したのはそのあとだった。
「お肉の知識などまったくなく、包丁の使い方も知らなければ研ぎ方も知らない、といった状態で無謀にも一関市内に焼き肉屋をオープンしたんです。2年間は苦労のし通しでしたね。店にお肉は沢山準備していましたけど、肝心のお客さまが来ないんです。しかも自分たち夫婦には子供が生まれたばかりでした。でもお肉とキムチとごはんがあれば、おれたち家族が餓死することはないと楽天的に思っていました」
さすがは“笑学部”の出身である。
「店が暇なとき、自分でお肉を焼いて食べていたんですが、どの部位をどう焼けばさらに美味くなるかということを、あの時期にじっくり研究できたことになりますね」
 人生はまさに塞翁が馬である。最初から店が繁盛していたら、千葉は一軒の焼き肉屋の主で終わっていたかもしれない。だから春秋に富む若者には無謀な挑戦が必要なのである。

シマジ:いくら実家に牛がたくさんいるからといって、突然焼き肉屋をはじめたのは度胸がいっただろうね。

千葉:シマジさんもご存じのように、「大昌園」や「雲龍」など有名な焼肉店がある一関で、新参者のわたしが店をオープンしてもまさに蟷螂の斧でした。最初のころは、女房と2人で交互に赤ん坊を背中におぶって店を切り盛りしていました。

風間:それは千葉さんが何歳のころですか。

千葉:27歳くらいでしたか。

立木:そのころはまだ肉の変態ではなかったんだな。

千葉:いやかなり変態でした。女房によく「お肉を焼いているあなたの顔は怖い」と言われていましたから。

シマジ:そのころから肉を焼き出すと目がイッていたんだね。

千葉:そうかもしれませんね。そのころはお客さまが食べてくださる量より、まかないで自分で食べる量のほうが多い日もありましたから。

シマジ:その一見無駄に見えることがいまの「格之進」の繁栄に繋がっているんだろうね。

立木:シマジ、お前の「全身編集長」をプロデュースしたNHKの鈴木真美に、千葉を使って「全身焼肉屋」をやるよう売り込んだらどうだ。この狂った目つきは被写体としてみんなが感動すると思うね。

シマジ:そうだね。まずBSでやってもらいますか。しかも千葉には「格之進」の支店をパリとニューヨークに出すという夢があるからね。

千葉:シマジさん、そんな企業秘密をオープンにしないでください。

立木:いやみんなに宣言してこそ、夢って叶えられるものだよ。

シマジ:お世辞じゃなくこの日本の黒毛和牛だったら、欧米のブラックアンガス牛と勝負しても十分勝つと思うね。そしてオープンのときは千葉社長みずから焼けば、パリの人たちはこのイッた目に感動するよ。この目つきはいわばクリエーターの目だよね。

千葉:有り難うございます。普通の焼き肉屋はタレで勝負するんですが、うちはお肉そのもので勝負しようと考えたんです。3歳の処女牛の一頭から74種類の部位が取れるんですが、切り方で厚さを変えればさらにバリエーションが生まれます。お客さまはお金を使うプロで、わたしはお肉を選び焼くプロですから、すべてわたしにお任せください。わたしを信用してください。格之進は90%以上がコース料理なんです。だから金太郎飴のような料理になってしまう。「格之進」のお客さまはわたしと一緒に育っていっていただきたいのです。舌はシマジさんがよく仰っているように「知る悲しみ」を知ってしまうものなんです。美味いお肉を一度味わうと、もうあとには戻れないんです。店をはじめたころは月2回の休みしか取りませんでした、でも嬉しいことにお医者さんや弁護士の先生方が来られて、わたしの特別料理に舌鼓を打ってくださるようになってきました。

風間:それはオープンして何年くらい経った頃ですか。

千葉:そうですね。2年後くらいからですか。最初のうちは自分たちでまかないで食べていたお肉のほうが多かったんですが、2年目くらいから、ひと月150万円前後の売り上げを出すようになり、3年目からは200万円前後と売上がだんだん伸びていったのです。やっと家族で休みの日に一関のファミリーレストラン「びっくりドンキー」に行けるようになりました。そのころうちのお肉が評判になり、お肉のことを教えて欲しいというお話が「ロイヤルホスト」からございまして、一関から東京に来るのに夜行バスで来たものです。新幹線の片道分で夜行バスの往復分がまかなえたんです。

松本:すみません。今回は往復新幹線を使わせていただきました。

シマジ:それから一関のむかしの川崎村、いまの川崎町に大きな本店をオープンしたんですね。

千葉:そのむかしは薄衣村といっていました。

シマジ:思い出した。高校時代の親友で鈴木徹というヤツがその薄衣に住んでいた。よくあいつのうちに泊まりがけで遊びに行ったよ。あいつの実家は写真屋と新聞販売店をやっていた。

千葉:徹さんはよく存じ上げております。当時村会議員もやっておられました。

シマジ:徹は純粋な共産党員でありながらよく村会議員になれたね。

立木:その友達は共産党員でありながらよくシマジと親友になれたね。

シマジ:徹は高校時代から共産党員だったんですよ。わたしはそのころから無思想、無批判、無節操でした。

千葉:徹さんは人柄がよかったですね。いま徹さんのご家族がわたしの店の隣で同じように新聞販売所とDPEの店をやっていますよ。今度シマジさんが川崎にいらしたとき、寄ってあげればご家族の方がきっと喜びますよ。

シマジ:必ずそうします。

松本:鈴木徹さんはお亡くなりになったんですか。

シマジ:そうなんだ。胃がんで約10年前に。惜しい男が死んでしまった。あいつが生きていたら村興しなんてお茶の子さいさいだったろうね。

千葉:徹さんとシマジさんが親友だったなんて、わたしも徹さんの長女と同級生なんです。なにかご縁を感じてしまいますね。

シマジ:真夏に徹と一緒によく北上川の橋の上から花火を見たものですよ。徹、お前の村にも凄い男が生まれたんだよ。天国から応援してやってくれよ。

千葉:ありがとうございます。

シマジ:また「格之進」の話に戻るが、どうして東京の練馬区桜台に1号店を出したんですか。

千葉:それは桜台の近くの東長崎に親戚が住んでいまして、ちょくちょく遊びに行っていたので馴染みがあったからなんです。

シマジ:そうそう、いま伊勢丹のバーで一緒に働いているヒロエという若者はよく桜台の「格之進」に食べにいっているらしい。あそこは安くて美味しいと言っていましたね。

千葉:どうして東京に進出したかといいますと、一関で850円の牛肉のハラミと同じハラミが、六本木で3200円で売られているんですよ。しかもうちより量が少ない。ようし、一関のうちの牧場から直接輸送すれば東京でも十分勝負出来るなと踏んだんです。

立木:いま何軒持っているの。

千葉:一関の川崎町に本店を一軒、一関市内に一軒、それから陸前高田の町の復興のためを思って一軒オープンしました。東京には練馬区桜台と六本木のアークヒルズサウスタワーの地下とここですから合計6軒ですか。

風間:凄い発展ぶりですね。

千葉:いやいやこれからが本当の勝負ですね。

新刊情報

Salon de SHIMAJI バーカウンターは人生の勉強机である
(ペンブックス)
著: 島地勝彦
出版:阪急コミュニケーションズ
価格:2,000円(税抜)

今回登場したお店

格之進R(六本木店)
東京都港区六本木7-8-16 小河原ビル2F
Tel: 03-6438-9629
>公式サイトはこちら (外部サイト)

PageTop

このサイトについて

過去の掲載

Sound