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第6回 銀座 鳥政 川渕克己・政太郎親子 第4章 男は小利口よりも愚か者のほうがチャーミングだ。

撮影:立木義浩

<店主前曰>

「鳥政」の壁には「野鴨、スッポンをさばきます」という一文が書かれている。ここで野鴨やスッポンを料理して特別に売っているというわけではない。お客が築地市場でそれらを買ってきたら、家で食べられるようにさばいてあげているのだ。オヤジさんの川渕克己はフグ料理の免許も持っている巧みな料理人である。しかも鮎ばかりではなく、毎週イカ釣りに行って美味い塩辛を作る名人でもある。その美味い塩辛を店では決して出さない。オヤジさんは私的なことと公的なことを分けて考える実直な人である。「明るい公私混同」などというわたしの大好きな言葉は、オヤジさんのこころにはこれっぽっちも存在しないのである。

立木:シマジ、ごめん。このあと「メンズプレシャス」の撮影が広尾のスタジオであるんだ。SHISEIDO MENの撮影はこれで十分だ。オヤジさん、お嬢、ありがとサン。シマジをよろしくね。

矢尾:立木先生はもうお帰りになっちゃうのですか。

シマジ:巨匠は忙しいんですよ。

川渕克己:立木先生、この塩辛をおうちで召し上がってください。

立木:オヤジさん、ありがとう。いい男に撮ったからね。

川渕克己:またいらしてくださいね。

立木:風の強い日にまたきましょう。

矢尾:どうして風の強い日なのですか。

シマジ:タッチャンはカッコつけマンだから、意味もなくただ言っただけでしょう。あまり深く考えることはありません。

矢尾:立木先生には大人の男性の魅力がありますね。

シマジ:タッチャンは76歳だからもう十分大人でしょう。

川渕克己:カッコいいですよね。背も高いしスマートでお洒落です。今度生まれてくるときはああいう男に生まれたいなあ。あれくらいイケメンだったら、ヒモでも十分喰っていけるだろうね。

シマジ:それがじつは根っからの働き者なんだ。

矢尾:シマジさんとどれくらいのお付き合いなのですか。

シマジ:40年以上は一緒に仕事をしていますかね。そういえば小説家のイケメン、伊集院静は最近来ているの。

川渕政太郎:はい、伊集院先生は3日前に来てくださいました。先生も「シマジは最近来ているか」と訊いていましたよ。

シマジ:伊集院がくると相変わらず遅くなるんだろう。そのときは政太郎は覚悟しているんだろうが。 

川渕克己:わたしは伊集院先生がいらっしゃっても息子に任せていつものように11時には帰ります。

シマジ:それがいい。オヤジさんも歳だから無理しないほうがいいよ。

川渕克己:「オヤジ、どうして息子をおいて帰るんだ」と問い詰められたら、わたしはこう答えるんです。「伊集院先生、いまから家に帰って、最近発売された先生の『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』を読むんですよ」。すると先生はニコニコして「そうか、じゃあ、気をつけてな」といってくれるんです。シマジさんは読みましたか。

シマジ:『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』は読んだよ。推薦本として伊勢丹サロン・ド・シマジでも売っている。あの作品は伊集院文学独特の「ノベル・ノワール」というんだろうね。伊集院の作品のなかで『ごろごろ』というのがあるんだが、わたしはそれがいちばんの名作だと思っているんだ。その『ごろごろ』を書いた時代に対して今度の作品の時代背景は少しあとになる。私小説風なところがあるかと思えば、まったくのフィクションのところもあったりして、わたしには面白かったね。味のあるいい小説だ。

川渕克己:作品全体に流れているあの切ない暗さが堪りませんね。

シマジ:それが伊集院文学の魅力なんだろう。

川渕克己:伊集院先生は文章が冴えていていいですね。

シマジ:いまおれがちゃんと読める文章を書いている売れっ子の作家は、伊集院静と北方謙三かな。文章は人なり、というでしょう。だからあの2人とおれは気が合うのかもしれないね。

川渕克己:いつでしたか、伊集院先生がたまたまミツハシさんと隣合わせになってシマジさんの話になったとき、先生が「政太郎、メモ用紙をくれ」といってポケットから万年筆を取り出して「島地 元気や 静」と書いてミツハシさんに渡していましたね。

シマジ:その酔っぱらった勢いで走り書きした文字にまた味があるんだ。もともと伊集院は文章も達意だけど書がうまいんだよ。それをミツハシがわざわざ額装してきたので、わたしの仕事場に飾っている。それを見ながら励みにして毎日コツコツ原稿を書いているんです。原稿を書くって孤独な作業だからね。ゾーンに入れるとすぐ書けるんだけど、なかなかそのゾーンに入れないときは大変なんですよ。誰でもそうでしょうけどね。

川渕克己:伊集院先生の今度の小説は、1人また1人と親しい友人が死んで行くでしょう。またその男たちの不器用な生き方を先生が切なくも愛おしそうに綴っていますね。

シマジ:その辺は『ごろごろ』のほうが凄惨だけどね。今回『ごろごろ』を担当した編集者まで作品のなかで殺しているが、実際は彼はピンピンしているよ。わたしは伊集院が子供の頃に海辺で育ったことが、彼の人生において深い意味をもっているような気がしている。あの小説のなかで、どこに行っても海や河口の匂いを嗅ぎ取れる感性が凄いと思ったね。なかでも「私」とエイジの友情が感動的だった。「私」の前で格好つけるエイジがいじらしい。「私」もまだメジャーな物書きとして認められていない設定がいいね。色男でケンカ強くて女にモテる「私」はどう考えても若き伊集院その人だよね。

川渕克己:わたしもそう思って読んでいました。

シマジ:でも「私」も伊集院も若いとき、最愛の美しい妻を亡くし、弟をも若くして亡くし、大きな悲しみを背負っている。その悲しみの低周波が作品全体に流れているような気がするね。それから競輪というギャンブル人生がいいね。選手のことも詳しく書かれている。どこの世界にもスターがいるんだね。いろんな人の人生を伊集院は巧みに書き分けている。われわれの人生にだって出会いがありそして別れがあるんだが、「私」にとっての出会いと別れは壮絶だね。そこが小説なんでしょうがね。

川渕克己:友人たちを「愚者よ」と愛情込めて呼び捨てていますが、格好いいですよね。

シマジ:ジャック・ヒギンズの名作『鷲は舞い降りた』でも素敵な男たちを「ロマンティックな愚か者」という表現をしているが、男は小利口よりも愚か者のほうがチャーミングなんだろうね。

川渕克己:いまの若者はわたしからみてもシュリンクして小さくみえて仕方ないですがね。

シマジ:その点ここの政太郎は肝が据わっている。だから伊集院に可愛がられているんだよ。でもいまは大人だって異端で豪快な人物はもう死滅寸前でしょう。無頼という言葉だってすでに死語でしょう。わたしはいまの夜の銀座は知らないけど、文壇バーなんてあるのかな。

矢尾:伊集院さんの『愚者よ――』、なんといいましたかしら。

川渕政太郎:『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』です。出版社は集英社です。

矢尾:ありがとうございます。今日の帰りに買って今夜から読みます。

シマジ:男同士の友情を書いた切ない小説ですよ。恋愛小説ではないですからね。

矢尾:シマジさんと川渕さんがこんなに面白いと思われるのなら、わたしも読んでみたくなりました。

シマジ:えらい!今度の取材のときまでに読んで、感想を是非教えてください。若い女性読者があの小説をどう受け止めるのか興味津々です。

川渕克己:矢尾さん、読み終わったら是非またこの店にいらしてください。あなたの感想を聞きながらそのときはわたしがご馳走致しましょう。もしかすると伊集院先生がいらしているかもしれません。

矢尾:それではちゃんと読まなければいけませんね。

シマジ:本はゆっくり読んだほうがこころにずっと残るものです。速読法はすぐ忘れるようですよ。

新刊情報

Salon de SHIMAJI バーカウンターは人生の勉強机である
(ペンブックス)
著: 島地勝彦
出版:阪急コミュニケーションズ
価格:2,000円(税抜)

今回登場したお店

鳥政
東京都中央区銀座4-8-13 銀座蟹睦会館ビル 1F
TEL: 03-3561-5767

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