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第13回 恵比寿 ゴロシタ. 長谷川慎氏 第3章 技術から人生訓まで教える優しいシェフ。

撮影:立木義浩

シマジ:長谷川シェフは貫禄があるとはいえ、40歳という若さなのがいいですね。これからなんにでも挑戦出来ますよ。いわゆる、まだ無理の利く年齢です。

長谷川:失礼ですけど、シマジさんはおいくつなんですか。

シマジ:わたしは先月77歳になりましたよ。タッチャンはいま80歳です。

立木:またシマジは余計なことを言う。おれのことはほっといてくれない。

シマジ:資生堂からの記念すべき最後のゲストとなった服部さんは、おいくつなんですか。

服部:ぼくは29歳です。

シマジ:29歳ですか。わが国の将来は服部さんたち若者にかかっていますから、頑張ってくださいね。これからの日本はいままでのようにうまくいくかはわからないけど、まあオリンピックまでは大丈夫だろうね。

長谷川:ということは日本にもリーマンショックみたいなことが起こるんでしょうか。

シマジ:わたしは経済のことはまったくわかりませんが、予感として、このままではうまく行かないだろうと思うだけです。でももう一度日本も落ちるところまで落ちてみて、そこから這い上がればいいんじゃないでしょうか。

立木:シマジ、そんな物騒な話をしないで、もっと愉しい、料理の話をしたらいいじゃないの。

シマジ:そうしましょう。そういえば、ミスター・ル・マンこと、70代にして現役レーサーの寺田陽次郎さんと最近食事をしたんですが、ためになることを教わりましたよ。よく料理にスダチやレモンの小さく切ったものを絞るときがあるでしょう。いままでわたしは皮のほうを上に、果肉を下にして絞っていたんですが、寺田さんは皮を下にして絞っているんです。そのほうが香りがよく出ると聞いたのでわたしもさっそくやってみると、確かに、まるで皮の網を通ってくるようで、なかなか香りがいいことを知りました。それに果汁も結構出るんですよ。

長谷川:へえ、それは面白いですね。うちでもやってみましょう。

シマジ:77歳にして知った1つの技でした。

長谷川:シマジさんは帝国ホテルの村上信夫シェフには会われたことがありましたか。

シマジ:残念ながらじかあたりしたことはありません。村上シェフに可愛がられた最後の弟子、現在帝国ホテル専務総料理長の田中健一郎さんとは何度もお会いしていますが。

長谷川:村上シェフは、フランス料理のシェフとしてはおそらく日本で最初に有名になった方でしょうね。

シマジ:田中シェフから聞くところの話によれば、NHKの「きょうの料理」に出られて全国的に有名になったそうです。

長谷川:パリのホテル・リッツで何年も修行された村上シェフが、よく単純な家庭料理を全国の家庭の主婦に指導なさったと思いますね。

シマジ:そうですよね。ところが村上シェフはNHKに出るようになってから、キャベツやレタスが1個いくらで売られているのかを知るために、時間をみつけてはデパートの食品売り場に通うようになったそうです。目線を庶民感覚にしたかったんでしょう。明るい性格で視聴者に親しまれ、「きょうの料理」が人気番組になると同時に、村上シェフは帝国ホテルの顔になっていったんです。

長谷川:村上シェフはこどものとき、ご両親をほとんど同時に亡くされて大変苦労されたそうですね。

シマジ:そうなんです。戦前流行っていた結核でご両親を亡くされて、歳の離れたお姉さんがいたものの養女に行ってしまった。そこで村上シェフは尋常小学校の卒業も待たずに働き始めたそうですから、凄いバイタリティーがあったんでしょうね。料理の道は13歳のときに入ったようですね。帝国ホテルからパリのホテル・リッツで修行することになり、料理ばかりでなくフランス語も学んで、メニューをフランス語で書けるほどになるんですから、大変な努力家ですよね。

長谷川:こどものころ身体が大きかったために、知り合いの人が相撲部屋に入門させようとしたらしいですね。

シマジ:それにはさすがの村上シェフも怖じ気づいて、ちゃんこ鍋を食べただけで帰ってきたそうですよ。身体が大きいとは言っても、相撲の世界からみれば小さく思えてしまったんでしょう。村上シェフのエピソードで秀逸なのは、帝国ホテルでの見習い時代、鍋にこびりついて残っているソースを舐めて勉強したというところと、パリ中を食べ歩いて料理の味を探求したという話ですね。

長谷川:たしかに料理人にとって現地での食べ歩きというのは重要ですね。とくに名シェフと言われるシェフの料理は食べたほうが勉強になります。

シマジ:村上シェフがパリのホテル・リッツで修行したころは、まだ戦後10年くらいしか経っていなくて、日本は敵国扱いされていた。そのため超一流のレストラン、マキシムを村上シェフが1人で訪ねても、慇懃無礼に断わられたそうですね。それをなんとかして入りたくて、村上シェフはリッツの料理長に紹介を頼み、マキシム入店が可能になったそうですよ。でも、こどものときに両親を亡くして随分苦労されていますが、その後の人生は運に恵まれていたようですね。村上シェフには上の人に可愛がられる愛嬌もあったのでしょう。とくに帝国ホテルの犬丸徹三社長に可愛がられたんです。とはいえ村上シェフはとても腰の低い人で、生涯、誰に対しても分け隔てなく優しい態度で接したそうですね。

長谷川:村上シェフが料理の世界に入ったころは戦前でしたし、先輩シェフに怒鳴られたり殴られたりするのも当たり前の時代だったでしょうね。わたしが入った頃でもまだ“暴力的指導”は残っていましたからね。いまでは考えられませんけど。

シマジ:いまはちょっとでも殴ったりしたら若い見習いはすぐに辞めてしまうらしいですね。

長谷川:わたしは1人で気軽にやっていますが、いまは人を使うのは大変な時代になってきましたね。

シマジ:村上シェフは軍隊経験もあったので、ぶん殴って教えるよりも優しく教えたほうが成果は出ると確信を持っていたようです。たまに頼まれる調理学校の講師としても、生徒たちには料理の技術ばかりではなく、「チャンスは寝て待て」など人生訓まで教えていたそうです。

長谷川:村上シェフは1964年に行なわれた東京オリンピックのとき、料理長の1人として活躍されたようですね。

シマジ:当時のオリンピック選手村食堂は、94ヶ国からいろんな選手がやってくるので大変だったようですよ。村上シェフはその前のローマオリンピックに出かけてスパイもどきの活躍でいろいろ情報を仕入れてきた経験があり、それが東京オリンピックのときに役に立ったそうですよ。

長谷川:日本ではじめて冷凍食品が使われたのも、東京オリンピックがきっかけだったと先輩シェフから聞いています。

シマジ:そうでしょうね。なんといっても2000人分の食事を毎日作るんですから、生鮮食品ばかりでは無理で、冷凍食品を使わなかったらやっていけなかったんでしょう。

立木:でも2年後に迫った今度の東京オリンピックは、あれから50数年経っているし、日本の料理界もかなり進歩したからもっとうまくやるんじゃないの。

長谷川:料理人の数も腕も豊かになってきましたしね。それは言えますね。

シマジ:でも日本の料理界の現在の繁栄は、やはりこれまでの名料理人たちの努力と苦労の賜物といえるでしょうね。

長谷川:とくに村上信夫さんなど偉大な先輩シェフの活躍が、大きな影響を与えてくれたのは間違いないと思います。

服部:今日はぼくのまったく知らない料理の世界のお話が聞けて勉強になりました。ありがとうございます。

新刊情報

神々にえこひいきされた男たち
(講談社+α文庫)

著: 島地勝彦
出版: 講談社
価格:1,058円(税込)

今回登場したお店

恵比寿 golosita.
東京都 渋谷区恵比寿南1-18-9
Tel:03-5794-8568
>公式サイトはこちら (外部サイト)

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