昔、鉛入りの「白粉」がありました
ファンデ以前は「白粉」を使用
ドキッとする方もいらっしゃるかと思いますが、「鉛」でできていたのは昔のことです。ファンデが登場するまでは、肌を色白に見せるための化粧品といえば「白粉(おしろい)」でした。日本では、白粉が大衆化するのは江戸時代に入ってからです。
当時の白粉には、鉛製のものと水銀製のものがあり、中でも鉛の白粉は庶民に浸透していました。まだ、鉛による体への害は知られておらず、鉛の白粉は安価な上にのびがよくて落ちにくかったため、明治時代に入り西洋化が始まってからも愛用されていました。
きっかけになった「慢性鉛中毒事件」
1887年、白粉を多用していたある歌舞伎役者が、演技中に足の震えが止まらなくなりました。後に、それは“鉛中毒”による症状だったことが判明。この「慢性鉛中毒事件」をきっかけに、鉛の有毒性が知られ、白粉の使用をめぐる社会問題にもなりました。この事件以降、安全性の高い「無鉛タイプの白粉」が登場したのです。さらに輸入品に影響を受けて、「色つき白粉」など西洋的美意識を取り入れた素肌の色に近い新タイプの白粉が登場するようになりました。鉛入りの白粉の製造が正式に禁止されるようになったのは、1934年のことです。
現在は徹底的に安全性を追求
このような白粉の歴史があるので、「ファンデは肌にわるい」という都市伝説のようなイメージが残っているのかもしれません。ただ、現在ではこのような物質が使われることはありません。厳しい基準を設け、安全な材料のみを厳選して開発されているのでご安心ください。
※参考文献:
高橋雅夫(1997)『化粧ものがたり-赤・白・黒の世界-』雄山閣出版
石田かおり(2000)『化粧せずには生きられない人間の歴史』講談社
この記事の回答者
髙野 ルリ子
株式会社資生堂
社会価値創造本部
アート&ヘリテージ室
ヘリテージマネジメントグループ
1992年資生堂入社。
千葉大学大学院自然科学研究科博士後期課程情報科学専攻・学術博士。
「化粧の心理、生理的効用、顔の認知や魅力に関する研究」を主軸とし、
心理学的視点に基づくメーキャップテクニックの解釈や理論化に長年従事。
近年は化粧文化研究に注力。日本顔学会会員、理事。日本心理学会、日本感性工学会会員。
2014年4月より筑波大学グローバル教育院客員准教授。