「自然な肌色」への
強いこだわりで進化
ファッショナブルだった
5000年前の世界
ファンデと白粉(おしろい)は異なるアイテムですが、「ベースメイクは白粉から始まった」という意味で、ファンデの起源は白粉にあると考えられます。実は白粉には、5000年近い歴史があり、はじまりは、世界四大文明より前だと言われています。四大文明の頃から、上流階級のステイタスとして白粉以外にも、古代エジプト文明の囲み目メイクなど既に「お化粧」が存在していたそうです。
白粉が日本で初めて作られたのは1300年以上前の飛鳥時代。それから明治時代になるまでは、白一色だけでした。1906年に資生堂から日本で初めて肌色の粉白粉が登場。1917年には、資生堂から日本初のコントロールカラーの色付きの白粉「七色粉白粉」が誕生しました。やがて時代の変遷とともに、より自然な肌色のベースメイクが好まれるようになり、「ファンデーション」が開発されました。
ハリウッド映画とともに広く世の中へ
ファンデが世の中の女性に広く伝わったのはアメリカのハリウッド映画がきっかけ。アメリカ映画の黄金期と言われる1930〜1940年頃、当時のファンデはまだ映画撮影時の俳優用という特別なものだったのですが、ファンデを塗ったハリウッド女優たちが広告塔となり、アメリカの女性に一気に広がっていきました。そして、その人気とともに、ファンデは一般女性にも使いやすい商品へと改良。1960年頃には、日本でもファンデが定着していきました。
※参考文献:石田かおり(1999)『化粧せずには生きられない人間の歴史』講談社
この記事の回答者

石田 かおり
駒沢女子大学教授
博士(被服環境学)
お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士課程修了。
専門は哲学(化粧の現象学・AIの現象学)。
1992年~2000年資生堂正社員。資生堂入社後、
哲学を応用した化粧文化の研究を始める。
2000年より駒沢女子大学専任教員。
2000年~2018年資生堂客員研究員を務めた。
■代表著書
・『おしゃれの哲学』(1995年 理想社)
・『化粧せずには生きられない人間の歴史』(2000年 講談社現代新書)
・『化粧と人間』(2009年 法政大学出版局)