NUMBER52 大正時代にあった「七色粉白粉」ってどんなもの?NUMBER52 大正時代にあった「七色粉白粉」ってどんなもの?

“自分好みの肌色”を演出できる
新しい白粉です

“一人ひとりの美しさを引き出す”という考えのもと開発

1917年、大正のはじめに発売された新たな白粉(おしろい)は、お化粧の概念を変える革命的アイテムとなりました。その名も「着色福原粉白粉七種(七色粉白粉)」。この白粉は、7色のカラーバリエーションをもった製品でした。白、黄、肉黄、緑、ばら、牡丹、紫の7色があり、使う人の肌色や生活シーンに応じて、自由に色を選んで使うことができる新しい白粉だったのです。当時、白粉は「白」が主流だったため、「七色粉白粉」はセンセーショナルなメイクアイテムとして、日本に広まりました。国産品として、日本ではじめての色付き固練白粉「かへで白粉」、「はな白粉」を発売してから10年。より、日本人女性の肌色に合う色を研究し、この7色のラインナップが完成したのです。

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自分好みの肌色を演出できる「七色粉白粉」は、大正時代の女性たちの間で評判となりました。大正時代は、メイクアップも欧米のスタイルが日本に入ってくるなど、新しい文化、流行が根付きはじめた頃。女性たちにとって、メイクやファッションなど、個々の美を楽しむ、選択肢が広がった時代でもあります。
この「七色粉白粉」は、7色をバラ売りにしていましたので、女性たちがそれぞれ求める肌色に対して、7色から選んで買うことができた点が、当時のスタイルに合っていたのでしょう。歴史資料の記録によると、緑や紫は、電球の光線に映えるため新橋芸者に愛用されたそうです。この時代をきっかけに、白粉は、複数のカラーバリエーションを持ち、個々の肌色を美しく演出できるメイクアイテムになっていったのです。

この記事の回答者

髙野 ルリ子

株式会社資生堂
社会価値創造本部
アート&ヘリテージ室
ヘリテージマネジメントグループ

回答者プロフィール

1992年資生堂入社。
千葉大学大学院自然科学研究科博士後期課程情報科学専攻・学術博士。
「化粧の心理、生理的効用、顔の認知や魅力に関する研究」を主軸とし、
心理学的視点に基づくメーキャップテクニックの解釈や理論化に長年従事。
近年は化粧文化研究に注力。日本顔学会会員、理事。日本心理学会、日本感性工学会会員。
2014年4月より筑波大学グローバル教育院客員准教授。

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