NUMBER42 ファンデはもともと「特権階級」のもの?NUMBER42 ファンデはもともと「特権階級」のもの?

「立場」のある人達が
それを示すのに
使っていました

平安時代の白粉は「数量限定品」

ファンデの起源といわれる「白粉(おしろい)」ですが、江戸時代初期までは特権階級や裕福な人々しか使えない希少なものだったと言われています。なかでも、鉛製の白粉は中国の高僧が日本に作り方を伝えてから宮廷に普及し始めました。
平安時代や鎌倉時代の絵画をよくみると、身分の高い人が、低い人よりも白い顔で描かれているものがあり、白粉をつけているとわかります。つきやのびがよかった鉛白粉は、当時から貴重品。おそらく平安時代の宮廷でも、高貴な身分の人は、この鉛白粉をつけていたと思われます。

身分などの区別を表す
「ドレスコード」の意味も

平安時代後期になると武家が勢力を持つようになったことで、平家の女性や公達も白粉を使うようになりました。武家が白粉をつけることは、貴族の文化を自分たちも取り入れているという権力誇示の象徴でもあったのです。その後、時とともに、歯を黒く染めるお歯黒や、眉をそり落として新たに描く黒の化粧が、成人や身分を表すしるしとしてルール化されました。江戸時代になり、白粉が都市の庶民に普及する頃には、庶民の間にも、そうしたルールが一部適用されるようになります。たとえば、結婚するとお歯黒をしたり、子どもができると眉をそり落とすなどの習慣がありました。
長い間白粉化粧は化粧の中心でしたが、それに加えて女性たちは、定められたルールの中で、自身を美しくみせる工夫を重ねたのです。

この記事の回答者

山村 博美

化粧文化研究家

回答者プロフィール

東京女子大学文理学部英米文学科卒業。
化粧品会社の研究所で、日本と欧米の化粧文化史、結髪史の研究に従事したのちフリーに。
2016年に『化粧の日本史―美意識の移りかわり』(吉川弘文館)を上梓。
「文化としての化粧のおもしろさを、わかりやすく伝える」をモットーに、
古代から現代までの化粧文化全般、化粧と女性、化粧と社会をテーマにした執筆や講演、
ブログによる情報発信などを行っている。

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