NUMBER46 昔のファンデの作り方って?NUMBER46 昔のファンデの作り方って?

鉛を酢で蒸して作っていました

製法は中国の高僧に学んだ

昔のファンデ=白粉(おしろい)のことですが、最初はもちろん手作りでした。もともと、中国から日本へと伝わった白粉ですが、伝えたのはなんと僧侶だったのです!天皇の命令で建てられたお寺に中国から招聘された高僧が、そのお礼に当時の女帝に白粉を作って献上したのが日本初の白粉。天皇はたいそう喜んで、たくさんの褒美を与えたという記録があります。
では、白い粉をゼロから作るとは、一体どんなふうに作られていたのでしょうか。当時は、鉛を酢で蒸す手法が主流だったそうです。こうすると、化学反応が起きて、外側に白い粉が出来るので、それを集めて白粉にしていたのです。これらの原料が高価だったので、江戸時代になると安価な粗悪品は、混ぜ物として小麦粉やオシロイバナの種の中の白い粉などの植物を加えて作ることもあったそうですよ。

実は使い方は現在と変わらない?

ちなみに、白粉の作り方については、歴史的な書物の記録から判明していますが、作り方の手法以外に、白粉の塗り方も書物に残っています。江戸時代後期に書かれた、美容書『都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』には、白粉の塗り方について、以下の手順で詳しく記されています。

まず、顔の額、眉間、ほお、鼻、口のまわりにつけます。水で溶いた白粉が肌の上で乾燥しないように、つけてはのばしを繰り返し、その後、和紙を顔に当てて濡らした刷毛で上から何度もはいて、余分な白粉をとります。さらに、上から粉白粉をムラなくのばします。

いかがでしょうか? 現代のファンデの塗り方にもつながっていますよね。ちなみに、現代のようなファンデが工場で作られるようになるのは、20世紀後半になってからです。

この記事の回答者

山村 博美

化粧文化研究家

回答者プロフィール

東京女子大学文理学部英米文学科卒業。
化粧品会社の研究所で、日本と欧米の化粧文化史、結髪史の研究に従事したのちフリーに。
2016年に『化粧の日本史―美意識の移りかわり』(吉川弘文館)を上梓。
「文化としての化粧のおもしろさを、わかりやすく伝える」をモットーに、
古代から現代までの化粧文化全般、化粧と女性、化粧と社会をテーマにした執筆や講演、
ブログによる情報発信などを行っている。

READ MOREREAD MORE

この記事が役立った人におすすめこの記事が役立った人におすすめ