NUMBER50 昔のファンデはどんな広告だったの?NUMBER50 昔のファンデはどんな広告だったの?

昔から女優のイラストや写真が
使われていました

オードリー・ヘップバーン風美女も
登場

アメリカでは、初期のファンデの広告には、ハリウッド女優が登場するものが多くみられます。でも日本の場合、ファンデが使われるようになったのは、戦後の昭和20年代になってから。戦後すぐは、人々が生活の立て直しに必死だった頃ですが、昭和22年(1947年)の新聞広告には、もう文字だけの小さなファンデの広告が載っていました。当時は、日本人が豊かな先進国、アメリカに憧れた時代。ファンデは、アメリカで最先端の商品だと広告で強調されました
復興が進んだ昭和20年代末期頃からは、現代のように、女優の写真やイラストを使ったファンデの広告が増えていきます。昭和30年頃には、当時大人気の映画女優オードリー・ヘップバーン風美女のイラストが描かれた広告もありました。

専門絵師の美人画が彩った、
江戸の白粉広告

ちなみに、白粉(おしろい)の広告は、なんと江戸時代からありました。たとえば渓斎英泉(けいさいえいせん)という浮世絵師が描いた美人画では、美しい女性が白粉を塗っているその背景に、白粉の商品パッケージがさりげなく描かれているだけでなく、手に持っている鏡や刷毛にも商品名が描かれている絵などがありました。浮世絵には商品を宣伝する広告を兼ねたものも多かったのです。この他、当時の小説の中に商品名を書き込む宣伝もありました。「モデルと商品を一緒に描く」そして、「人々の目に触れやすいものに載せて届ける」という、広告の基本的な手法は、江戸時代から変わっていないのです。


この記事の回答者

山村 博美

化粧文化研究家

回答者プロフィール

東京女子大学文理学部英米文学科卒業。
化粧品会社の研究所で、日本と欧米の化粧文化史、結髪史の研究に従事したのちフリーに。
2016年に『化粧の日本史―美意識の移りかわり』(吉川弘文館)を上梓。
「文化としての化粧のおもしろさを、わかりやすく伝える」をモットーに、
古代から現代までの化粧文化全般、化粧と女性、化粧と社会をテーマにした執筆や講演、
ブログによる情報発信などを行っている。

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